
マインドフルネス(mindfulness)とは
マインドフルネス(mindfulness)とは、「今、この瞬間」に氣づいている心の状態。もともとは、お釈迦さまが最初に説かれた教え「心を留めておくこと」という、パーリ語で〈サティ=sati〉という言葉の英訳です。漢語では〈念〉、日本語では〈今ここ、気づき〉と訳されています。
世界中にこのマインドフルネスを広めたベトナムの禅僧ティク・ナット・ハン師は、マインドフルネスを「今という瞬間に目覚めている力(エネルギー)」と定義し、医療の現場にマインドフルネス瞑想を応用したアメリカの分子生物学者ジョン・カバットジン博士は、「瞬間、瞬間の体験に対して一切の価値判断をせずに、意図的に注意を払うことによって実現される気づき(アウェアネス)」と定義しました。

マインドレスネスの状態
翻って、わたしたちは今この瞬間に氣づいていない状態(マインドレスネス=mindlessness)でいることが、あまりに多くはないでしょうか? 体は確かに此処にあるのに心が何処かに行ってしまっている状態。
例えばこんなことはありませんか?
朝、目を覚ました瞬間に、今日一日のスケジュールが頭に浮かんで慌てて飛び起きてつまづいてみたり、スマホ片手にご飯を口に運んでいて、湯呑みを倒してこぼしてみたり、パソコンに向かっていながら、さっき言われた一言が頭から離れずに、ちっとも書き物が進まなかったり、ベッドに入ってからも、昼間にやらかした失敗を思い出してなかなか寝付けなかったり…。
心ここにあらず。過去を悔やみ、未来を憂う状態。…心が今に落ち着いていないと、大抵やらかします。やらかしては自己嫌悪、の繰り返し。
〈今ここ〉に心があれば、やらかす事は減ってきます。
そして、悩みごとは大抵過去や未来のこと。過去や未来に心が彷徨わなくなれば、〈今〉に悩みはない、ということに氣づきます。

マインドフルネス瞑想とは
マインドフルネス瞑想とは、マインドフルネスの状態、つまり〈氣づき〉の〝心〟を育てるためのプロセスであり、〈氣づき〉を得るために何度でも繰り返すトレーニングです。彷徨いがちな〝心〟を何度でも〈今ここ〉へ連れ戻し、「現在」という瞬間に起きていることに「意識」を集めるための練習です。
マインドフルネス瞑想の実践を重ねていくと、〈今この瞬間〉に氣づきやすくなります。
朝、目を覚ました瞬間、今ここにある体に氣づいて感謝して、ゆっくりと体を起こすことができます。食事をしているときには目の前の食べ物だけに注意を払って、ひと口ひと口ゆっくりと噛み締めて、ありがたく味わうことができます。バソコンに向かっているときは、目の前のことだけに集中ができて仕事が捗るようになります。 ベッドに入ったら、〈今ここ〉に在るじぶんの体を感じて、呼吸に意識を向けているうちに間も無く心地のいい眠りに入っていけます。〈今ここ〉に存在しているじぶんに氣づいている状態は、心を静かに、そして豊かにします。
マインドフルネス瞑想の基本は「呼吸瞑想」です。呼吸に〈氣づき〉を向けることで、〈今ここ〉に立ち戻ることができます。無意識を意識化する感覚を研ぎ澄ますことができます。

ブッダの気づきの瞑想=ヴィパッサナー瞑想
2560年ほど前のインドで、お釈迦さまは「人々を苦しみから救いたい」と願って修行に入られました。当時、インド全土で取り組まれていた解脱に至るための修行は、断食することであったり、体を痛めつけることであったり、苦行を伴うことが殆どでした。お釈迦さまも例に漏れず、さまざまな苦行を経験されましたが、いずれの修行においても悟りを得ることはできず、6年間の修行の最後の最後、「樹下の打坐」によって悟りを開かれて解脱なさいました。樹下に打坐してなさったのは、所謂「ヴィパッサナー瞑想」です。「観察瞑想」とも言います。〈今ここ〉でしている呼吸を観、身体を観、心を観る瞑想です。
目を閉じて坐り、〈今ここ〉〈あるがまま〉の自分を観るとき、まずは自分の体がしている呼吸に気づきます。呼吸によってお腹が膨らんだり縮んだりしています。ただそのことだけに〈気づき〉を向けつづけますが、たちまちに現れてくるのが「思考」「雑念」「妄想」です。そして次には「感情」が動めきはじめ、瞑想どころではなくなります。
仏教では、心の汚れのことを「煩悩」と呼びます。煩悩とは「感情」のことです。お釈迦さまは、私たちが感じる「苦しみ」のほとんどが「感情」から生まれることを発見されました。人々を苦しみから救う為には「感情」を正しく取り扱うこと。そこで発見された真理は、そもそも〈今ここ〉〈あるがまま〉には、「思考」も「妄想」も「感情」もないということでした。〈今ここ〉〈あるがまま〉に瞑想することで、苦しみなく生きることができると説いたのです。
「ヴィパッサナー」は「今という瞬間に完全に注意を集中する」実践です。心地よいことも不快なことも、その体験を価値判断せず、ありのままそのままに観察します。瞑想中に現れる「思考」も「妄想」も「感情」も、抑えたりコントロールしようとするのではなく、ただ「気づく」だけ。
「思考」は「思考」、「妄想」は「妄想」、
「感情」は「感情」…と、「気づく」だけ
そして放っておきます。
放っておくと、それら心の汚れが次第に消え去っていくのが分かります。諸行無常の世界です。そして、静寂の中に純粋な自己が現れ始めます。ただ気づきつづける瞑想の中でいつしか安らぎが訪れ、心と体は癒されていきます。
「瞑想」する本来の目的は、心の汚れを落とし、幸せで安らかな人間になることです。ひだまりでは、心の汚れを少しずつなくして、幸せで安らかな人生を歩んでいけるようにな瞑想実践をご紹介しています。

